父が、がんで亡くなりまして。~亡くなるまでの3か月と介護中のおうちワーク&育児(3歳)について~

父が、がんで亡くなりまして

今年の3月に父が亡くなりました。

人が亡くなる過程というものを初めて間近で見て、辛くもあったけども神秘的な経験でもあり、絶対にこの時間を忘れたくないと思い、毎日毎日日記をつけて過ごしていました。
いつかそれをひとまとめにして、漫画にしたいなと思っていたのですが、ただ、少しでも思い出すと泣けてきて、なかなか描けず……

いきなり漫画にするのはハードルが高いので、まずは文章にしてみよう、いまなら思い出せそう、とPCを開いてみました。
また、同じような状況の人の参考になるよう、介護中の在宅ワーク事情についても整理してみようと思います。

父が、がんで亡くなった

父はがんで亡くなったのですが、肺がんが最初に分かったのは、2年前。

最初は咳が多いね、風邪かな? 程度だったのが、2か月ほどおさまらず。
その間何度も病院に行きましたが、風邪や喘息と言われ、すぐにはがんとは分かりませんでした。
4件目くらいの病院で、ちょっと様子がおかしいので、レントゲンを撮ってみようか? と言われ、そこでやっとがんが判明。
父からは、「なんか、がんみたいなんだよね~」とあっけらかんと言われ、私も「まあ初期のものは手術で治るらしいしね~」という程度で返事をしていました。

そのときはステージは分からず。

3週間くらい経ち、仕事帰りに娘を保育園に迎えに行く途中、叔母から電話がかかってきて「ステージ4なんだって!? 」と言われて初めてステージを知り、体に雷が落ちたような衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
電話がきたのが、駅の改札をぬけ階段を下りている途中のタイミングだったので、それからいっとき階段を上ることも降りることもできなくなり、そのまま階段の途中で佇むことに。
(この後に父の余命宣告をうけたりいろいろなことがあったけど、このときの衝撃に勝るものはなかった! )

後から父に確認すると、心配かけないようにステージは私に伝えないつもりだったと。
これからは隠さず言ってね。と伝えたけど、この後もどんなに悪くなってもすぐには言わず、できるだけ隠そうとしていた父でした。

その後、体に合う分子標的薬が見つかり、治療のために入退院は繰り返していたものの、1年は本当に元気に過ごしていました。
ただ、1年経った後、だんだんと効いていた薬が効かなくなり、ほかの薬もなかなか合わず……。


その間に私も石川県に引っ越し、第2子妊娠。
コロナも大変だけど、必ず里帰り出産するからね。と伝えると、「楽しみだな~」なんて言っていて。
でも、母からは「ちょっと悪くなってきてるからね~」と聞いていたので、正直、帰るのが怖くもありました。
帰ったらどうしても弱った父を見なければならないので、帰りたかったけど帰りたくなかった。

でも、夫から「後悔しないようにしたほうがいいよ」と言われ、早めに帰ることにしたのでした。

福岡に帰ったときには、今までの父とはかわり、だいぶ瘦せていて、歩くのもゆっくり。
(でもこの時は自分で歩けた)
「せっかく帰ってきたのに、どこにも連れて行ってやれなくてごめんな。里帰りなのに俺の方が面倒かけるかも。」と言うので、「コロナやしどうせ出かけれんよ、私も妊婦やけど動いたほうが良いし別に気にすることないよ」と話をし、それからは本当にほとんど外出せずにゆっくり家族で過ごしました。

父は食べれる日もあり、食べれない日もあり、夜中寝ていると父の吐いている音が聞こえたり。
それだけでも辛くて、悲しくて。
実家に帰って最初のころは、現実を受け止めることに精いっぱいで、唯一の逃げ場が仕事だったので、空いている時間はひたすら仕事をしてつらい気持ちを紛らわす日々でした。
帰って最初の1週間が一番辛かったように思います。

私が帰ってからは、本当に父の悪くなるスピードがはやくて。
最初はゆっくりでも歩けたのに、しばらくするとベットから起き上がるのもつらくなり、呼吸が苦しい、と言うように。

里帰りから2週間ぐらいたっところ、1回入院したほうがいいかも、ということで緩和ケア病棟に入院。
毎日お見舞いに行くけど、コロナのせいで母と私で10分ずつしか面会できない。
孫とも会えない。


「孫に会いたい、家に帰りたい」
と言うので、病院の先生に退院を相談。

入院している間に、父は排泄もおむつでしかできなくなり、せん妄も出てきて、足の悪い母と臨月の私とで家でお世話をすることに不安しかなかったけれど、とりあえず1日か2日だけでも帰宅しよう、という話になり、退院。

それからの1週間、毎日毎日、父と母と私と娘の4人で過ごしました。
父は日に日に食べれなくなり水も飲めなくなり、植物が枯れていくかのように細くなっていき。
こうやって人は亡くなっていくのだな……と。

一方、そんな父とは反対に私のお腹はどんどん大きくなっていく。

毎日、「今日も父は生きているか」「お腹の子は元気に育っているか」と、これから消えていく命と生まれる命を見守り、今までの人生でいちばん生について考えた時間だったように思います。

一週間、母と父のおむつを替えたり体をふいたり、薬の管理をしたり……なんとか綱渡り状態でやってきたものの、1週間たったころで母と「もう限界やね、私たち頑張ったね」と話をして、再度病院に入院してもらうことに。

病院に行ったら、看護師さんが「一週間もよく頑張ったね。」と言ってくれて号泣。

今思うと、毎日毎日、泣いてばかりの日々だった。
母も私も頑張ったなと思う。

「明日、病院の先生と話し合いをするので、10時に来てください」と言われ、帰宅。
夜、ベットの中で翌日の天気を見ると、しばらくずっと雨だったのに晴れ予報。
なんとなく亡くなるなら明日かもな、と思いながら眠りにつき……

朝起きるとやっぱり快晴。
しかも冬なのにすごくあたたかい。
たぶん父は今日亡くなる、とぼんやり思いつつ病院に向かっていると電話が。

「早く来れますか? 」

そのまま病院に向かうと、すでに父は亡くなっていました。

やっぱり、今日だった! なんて思いながら、おつかれさま、頑張ったね、という気持ちで、母と大泣き。
悲しかったけど、ほっとした気持ちもあり。
とってもとっても濃い1か月が終わりを迎えたのでした。

そのあとはゆっくり悲しむ時間も少なく、バタバタとお葬式の準備をしたり、そんなことが終わったら2週間後に第2子が産まれ……超特急でここまできました。

でも、今が一番落ち着いていて穏やかな日々かもしれません。
やっとちょっと文章にできるぐらいにはなってよかったです。

介護中のおうちワークと育児(3歳)について

そんなわけで、父の介護と見送り、自分自身の妊娠・出産が重なりてんやわんやだったのですが、そのなかでも仕事は待ってくれません。
なので、バタバタと私生活を過ごしつつ、仕事も通常通り走らせていました。(と言うか、むしろ仕事が逃げ場になっている節も大いにあったかもしれません……)

参考までに、介護をしていたときのスケジュールを以下に載せてみますね。
※入院中と在宅介護中で状況がかなり変わりますので、2パターン載せます

1日のスケジュール(入院中)

父の入院中はほぼ毎日お見舞いに行っていましたので、1日のスケジュールがお見舞い時間に合わせてだいたい決まっていました。その時期には父はほとんど食欲がなく、食べられるものが限られていたため、毎回お昼ごはん前に食べられそうなものを持って行っていました。(むしろ、そのためにお見舞いに行っていたようなもの)
なので、お見舞いの時間帯は午前中と決まっていました。
それに合わせたスケジュールはこんな感じです↓

7:00朝ご飯を食べ、家事や夜ごはんの準備を終わらせる(打ち合わせは朝イチに入れる)
11:00父のお見舞いに行く ※ただし、コロナ禍でお見舞い時間は1人10分のみ
12:00家に帰って母と娘とお昼ごはんを食べる
13:00午後2時間ほど集中して仕事をする(その間娘は母に預ける)
15:00娘と2人で公園など遊びに外出(その間母は洗濯物などの家事をする)
18:00午後8時までに夜ごはんとお風呂を済ませる
21:00娘が寝た後ベットの中で仕事

通常は娘(3歳)は幼稚園に行っているのですが、里帰り中だったため家で面倒を見なければならず、なかなか一気に仕事はできませんでした。そのため、細切れに仕事をすることに……。どうしても外せない仕事は朝いちの娘が起きる前や、朝ごはんが終わってからの機嫌がいい時間(NHKで子ども番組があっている時間など)に終わらせていました。

反対に、それ以外の時間は仕事が進まなくてもイライラしないように半分諦め、できるときはする! というスタンスで仕事をしていました。そして日中終わらなかった分は、娘が寝た後に終わらせる……という感じです。

それでも、なんとか幼稚園に行かずでも仕事をできたのは、母の存在が大きかったです。(もし母がいなかったことを想像するとゾッとします……)
こういうときのために、頼れる人を見つけておくことが大事ですね。

一日のスケジュール(在宅介護)

在宅介護中は、父のことが心配で気の休まるときがなく、夜中も父の息が止まっていないか、苦しんでいないかと心配で、夜も朝もあまり眠くなく睡眠時間が少なくなっていました。そのため、時間には余裕があり、仕事をする時間もありました。(でも精神的な余裕は少ない)
そのときのスケジュールはこんな感じです↓

5:00父の様子を見るため起きる、そのまま父のベットの横で仕事(2時間ほど)
7:00母と娘が起きて朝ご飯
8:00娘と遊んだり家事をしたり父の介護
10:00在宅看護の方が来る(その間仕事。打ち合わせなどはこのタイミングに入れる)
12:00母と娘とでお昼ごはん
13:00娘と遊んだり家事をしたり父の介護、合間に昼寝(重要! )
15:00父のベットの横で仕事(娘はテレビを見たり母と遊んだり)
18:00午後8時までに夜ごはんとお風呂を済ませる
20:00娘が寝た後仕事か自分の時間

在宅介護の場合、お見舞いに行く必要がなかったので、比較的自由な時間が多かったです。そのこともあり、入院中に比べ20時以降に仕事をすることは少なかったです。

介護で私生活が慌ただしいときに仕事上で気を付けたこと

そんな状況だったので、通常通りではあったものの、日々綱渡り状態で仕事をしていました。
このとき気を付けたていたことは、クライアントを不安にさせないということ。

真逆のことを言うようですが、そのために事前にこの状況をクライアントに共有していました。

当初、「依頼主にとって私の私生活なんか関係ないしそんなことを言うのも……」と伝えるか迷うこともありました。しかし、自分に何があっても大丈夫な環境を作るためには、自分の状況を知ってもらう必要があり、また、いつ何があるか分からない状況を伝えずに仕事を受けるのは、逆に無責任と思いました。(そして、この状況を隠したまま、いつも通りに仕事をする自信がなかったことも事実。)

なので、新規のクライアントに関しては、自分の状況を伝え、それでもOKであればお仕事をお受けする。そして、何かあったときのために、いつもは1人で受ける仕事も、2人で受けるように手配しました。そうして、自分に何があっても相方に任せれるよう、常に業務内容を共有していました。(トカミさんに組んでもらった案件もありましたよ~)

また、既存のクライアントや定期でお受けしているお仕事に関しては、自分の状況を伝えるとともに、いつ何があってもいいように1か月ほど前倒しで仕事を終わらせていました。そうすることで、自分がしばらく身動きが取れなくなっても問題なく仕事が回るようにしました。

ただ、このような状況をつくるためには、クライアントの許可と協力が必要なので、今思い返しても自分の状況を共有することはマストだと思います。私の場合、ありがたいことに事前に共有することで、どのクライアントにも仕事がスムーズに進むよう協力いただけました。このときにお仕事を任せてくださったクライアントのみなさまには本当に足を向けて寝れません……!

まとめ

以上が、父が亡くなるまでの出来事と、その中でのお仕事事情でした。

この経験を経て思ったことは、「どんな状況でも粛々とやるべきことをやるだけ」ということ。結局はそれだけなので、過剰に肩に力を入れて無理しすぎたり、思い悩んでストレスを抱えすぎたりしないこと。

そして、介護に関わらず大変なときには、人にも機械にも頼れるだけ頼ること。自営業だからと言って自分だけで背負う必要はどこにもありません。大変なときはできるだけ沢山の人に助けてもらって、その代わりに助けを求められたときには、全力でサポートしたらいいだけのことです。

そのためにも、日頃から周りの人と信頼関係を築いておくことは大切だと実感しました。

……と、決して明るくない内容なのにここまでお読みいただきありがとうございました。
介護や親の看取りは、多くの人が経験することかと思います。
私自身、初めてのことばかりでたくさん戸惑ったり悩んだりしたので、この記事が少しでも誰かの参考になったら幸いです!

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